備忘録

遺書代わり

ロジカル

過去の自分のブログを見返していると、かなりシニカルでロジカルな文章が目につく。

どちらかというとそういう方が自分の根っこに合っていて読みやすくて好きで、最近の文章はまとまらないまま感情をだらっと書いてるだけのものが多いなと感じた。

 

でもそれは、考える時間が減ったということだろうと思う。

以前は、頭がおかしくなるくらい考えて考えて、まとまらなくてショートしそうになるくらい考えて、嫌なことを想像して、吐きそうになって、それをどうにかガス抜きするために、熱を冷まして頭をスッキリさせるためにロジカルな文章になっていたと思う。

今は、良くも悪くも毎日に磨耗して、ゆっくり考えられる時間が作れなくて、突発的に沸いた黒い感情を、アルコールと薬に任せて書いているだけだからつまらない文章になっていたと思う。

 

いやきっと、精神状態としては、一時的な感情の爆発だから後者の方がマシで、余計な考え事しなくて済むような日々の方が幸福だろう。考えることは大事だし好きだけれど、以前のような、鬱蒼とした森を歩き続けていたような精神状態が良かったとはとても言えない。自分の中のフィロソフィーは減ってしまった気がするけれど。

 

 

あとは、自分のエネルギーとか、自分の資源とかは自分のために使おうと決めて少し荷物を下ろしたような感覚になった。

未来に進んでいるけれど、未来のことを考えるのを少しやめたような気がする。後先なんて考えられるような余裕のある人間じゃなかったんだ。もう少しだけ欲に素直に生きて行こう。

 

好きなこととか、好きなものとか、やりたいこととか、そういうのが楽しめているから本当にマシになってきたんだろうなぁ。

それに合わせて後先考えない脳みそが合わさって、少しお金の使い方が雑になってしまったけれど。

 

今日は久しぶりによく考えた。寒くなくて外が歩きやすかったな。寒い方が好きだけど。

人の本音が見えるようになればいいのに。いや、残酷過ぎるかな。

仮初の笑顔と、偽善的な愛情の奥が見てしまいたくなる。怖いのに。人の表面を見て、裏側を想像する自分が1番醜い心を持っているんだろうな。機械みたいな声で、簡単に心が揺らいでしまうから、マシになってると言ってもまだまだ弱々しい心で、根っこが腐ってしまったから立て直すのにはもっと時間があるんだような。

 

ずっとまどろんでいたい。

人は名前をつけないまま、少し歪んだ関係に安心してしまったりする。

実験動物に愛着が湧かないように名前をつけないのと同じなんだ。

 

 

今日の缶ビールは薄く感じた。

外があまり寒くなかったからだろうな。