備忘録

遺書代わり

自己否定と自己愛

自己肯定感が薄いから、人にちょっとした特別扱いを受けると背筋がぞわぞわっとして飛び跳ねるほど喜んでしまう。

ほんのちょっとの人の優しさで、自分は特別なんだという安心感が得られる。

 

そのあとで、自分を特別扱いしてほしい、と人の機嫌をとる自分は、人に媚を売る自分はなんて醜いんだろうと自己否定する。

 

けれど、自分の特別視を望む時点でもう、それは自己愛の一種なんじゃないだろうか。

 

好きで嫌いで、嫌いで好きで。

答えのない自問自答を繰り返す。こうやって客観視できてる自分を好きなのかもしれない、なんて自分は気持ち悪いなぁ。

ほらまたぐるぐると。

そういう考えると本当に自分を一方的に嫌いなだけの人は存在しないのかもしれないな。

自分のことを嫌いな自分を認めないと存在できないものね。

自分を嫌いな自分と、自分を好きな自分がいて、自分を嫌いな自分は、自分を好きな自分を嫌っていて、自分を好きな自分は、自分を嫌いな自分を好きなんだろう。たぶん。

 

 

結論は分からないのだけど、せめてこんな自分に優しくしてくれる人には、100パーセントの優しさで返そう。そう思う。最近はまるで別れを惜しむかのように、これで最後かのように、会う人会う人抱きしめたい気持ちでいっぱいだ。

 

それは、夜、ふと寂しさが喉元を締め付けるから。

「死にたい」は文字にすると軽くなるから、あまり書きたくないからと、それでも書かずにはいられなかった日々は本当にしんどかったんだろう。冬の重たい空は感傷を蓋して平坦化する。感情は突き抜けないくらいがちょうどいい。

 

 

 

街を歩くと存外みんな笑顔じゃないことに少しだけほっとする自分がやっぱり嫌いなんだ。

 

 

 

だから、誰かが、俺とお酒を囲むときは嘘みたいに、バカみたいに笑っていてほしい。