備忘録

遺書代わり

しらふ

自分の身体的なコンディションと精神的なコンディションをできる だけ整えるのに必死だ。

出来るだけ整えると言ったって、それでようやく「普通の人」 くらいなんだけど。
毎日ちゃんと寝て、決まった時間を働いて、 余計なことを考えないで、少しだけ自分の好きなことをして、 ちょっとだけ無駄な時間を過ごして...。
言葉にするとなんてことない1日だけど、 これを当たり前のように過ごせている「普通の人」 になりたくて必死だ。
これを達成してようやく、生きることに余裕が生まれるから、 それでようやくゼロからプラスにできる信じているのだけど、 結局このマイナスをゼロにするために疲弊している。
その時点でマイナスなのかもしれないけれど。


生きるのに、生活するのに懸命だ。
毎日をぬるっと生きられる人がうらやましい。 要領がいいんだろうな。
別に人より特別努力をしているわけでもないし、 切り詰めた生活をしているわけでもない、 家族との関係がうまくいっていないわけでもない。それでも、 生きることに一生懸命だ。
甘いだなんて言いたくないし、言われたくない。
今さら弱いことを言い訳にしない。だから「普通の生活」 を手にするために一生懸命生きる。


「当たり前の生活」をしながら自然に笑ったり怒ったりしている「 普通の人」たちは自分からしたら酔っ払いみたいなもので、「 しらふ」の自分では到底太刀打ちできない。
だからお酒が必要だ。「そんなにお酒飲まない」とか「 そんなにお酒が好きなのはアル中だ」 みたいなことはよく言われるけれど、自分からしたら「しらふ」 で世の中の酔っ払い(=「普通の人」) の人たちと自然と笑い合えるなんてよっぽど違和感がある。
世の中とのズレを、意識してしまうから、 お酒がないとそれを無視できない。
でもきっとお酒飲まない人の方が普通で、 素敵な人生なのだろうな。それに少し悔しさを覚える。
閉塞感とか、圧迫感とかあまり感じないのだろう。


学生時代はなんであんなに無為に時間が過ぎたんだろう。
当時住んでいた部屋の窓から聞こえる東横線の急行の音が今も胸をひっかいている。
無駄な時間を過ごしたという後悔と、 自分の人生にあのモラトリアムのような期間があってよかったと思うことが半々だ。
思い出は美化してしまう傾向が強いからきっと前者の感情が正しいんだろうけど。


体調が良くない日が増えた。
昔からそうだけど、悩んでいることが、それが小さいことでも3, 4個超えたあたりからオーバーフローして漠然とした大きな不安1 つに塗り替わる。
具体的な悩みとか解決方法とかを模索できなくなって疲弊だけして いく。
「何に悩んでいるのか」 と訊かれても自分でもわからなくなっていく。
だからわかりやすく体調に現れる。


なんとなく、心にアクセルがかかっているけど、 身体は黄色信号のような生活。
張り詰めた風船が割れないようにしないとな。


一生懸命なときほど人のこころは折れるから。