備忘録

遺書代わり

誰だって同じ

夜中に嫌な夢を何度も見る。

もう何度目だろう。わかりやすく精神が摩耗している証拠だ。人間関係において、理由がわからない、というのが、たぶん1番しんどい。怒っている理由は?不機嫌な理由は?冷めた理由は?離れた理由は?

それでも、みんな、「わかってほしい」んだ。無理だって、わかっているのに。

 

自分の気持ちが、自分でもわからないのに、他の人にわかるわけがない。

 

ねぇ。誰が悪いの?

 

 

しらふ

自分の身体的なコンディションと精神的なコンディションをできる だけ整えるのに必死だ。

出来るだけ整えると言ったって、それでようやく「普通の人」 くらいなんだけど。
毎日ちゃんと寝て、決まった時間を働いて、 余計なことを考えないで、少しだけ自分の好きなことをして、 ちょっとだけ無駄な時間を過ごして...。
言葉にするとなんてことない1日だけど、 これを当たり前のように過ごせている「普通の人」 になりたくて必死だ。
これを達成してようやく、生きることに余裕が生まれるから、 それでようやくゼロからプラスにできる信じているのだけど、 結局このマイナスをゼロにするために疲弊している。
その時点でマイナスなのかもしれないけれど。


生きるのに、生活するのに懸命だ。
毎日をぬるっと生きられる人がうらやましい。 要領がいいんだろうな。
別に人より特別努力をしているわけでもないし、 切り詰めた生活をしているわけでもない、 家族との関係がうまくいっていないわけでもない。それでも、 生きることに一生懸命だ。
甘いだなんて言いたくないし、言われたくない。
今さら弱いことを言い訳にしない。だから「普通の生活」 を手にするために一生懸命生きる。


「当たり前の生活」をしながら自然に笑ったり怒ったりしている「 普通の人」たちは自分からしたら酔っ払いみたいなもので、「 しらふ」の自分では到底太刀打ちできない。
だからお酒が必要だ。「そんなにお酒飲まない」とか「 そんなにお酒が好きなのはアル中だ」 みたいなことはよく言われるけれど、自分からしたら「しらふ」 で世の中の酔っ払い(=「普通の人」) の人たちと自然と笑い合えるなんてよっぽど違和感がある。
世の中とのズレを、意識してしまうから、 お酒がないとそれを無視できない。
でもきっとお酒飲まない人の方が普通で、 素敵な人生なのだろうな。それに少し悔しさを覚える。
閉塞感とか、圧迫感とかあまり感じないのだろう。


学生時代はなんであんなに無為に時間が過ぎたんだろう。
当時住んでいた部屋の窓から聞こえる東横線の急行の音が今も胸をひっかいている。
無駄な時間を過ごしたという後悔と、 自分の人生にあのモラトリアムのような期間があってよかったと思うことが半々だ。
思い出は美化してしまう傾向が強いからきっと前者の感情が正しいんだろうけど。


体調が良くない日が増えた。
昔からそうだけど、悩んでいることが、それが小さいことでも3, 4個超えたあたりからオーバーフローして漠然とした大きな不安1 つに塗り替わる。
具体的な悩みとか解決方法とかを模索できなくなって疲弊だけして いく。
「何に悩んでいるのか」 と訊かれても自分でもわからなくなっていく。
だからわかりやすく体調に現れる。


なんとなく、心にアクセルがかかっているけど、 身体は黄色信号のような生活。
張り詰めた風船が割れないようにしないとな。


一生懸命なときほど人のこころは折れるから。

平坦

気持ちがまとまったらまた書こう。

マイナスからゼロにようやくもどってこれたように思う。自分が思ってるだけかもしれないけど。

無駄に感傷的にならなくなったけど、上に感情がふれることも少なくなったように思う。平坦だ。

今までの最低の自分を考えるとこれでも相当良くなってるのだけれど、一方でこのままで、いいのかなんて、当たり前の感情にいきつく。

現状維持で精一杯。踏み出すのは怖いんだ。

人目を避けるように生きてきて、ここから変われるかなあ。

 

まともじゃない自分は幸せになりたいなんておこがましいことはなるべく考えたくない。でもどこかでしんどい。しんどいよ。

ゆっくりと、ゆっくりと、黒い感情が自分を蝕んでいるのを少しずつ受け入れながら、どうしようもない破滅衝動を抑え込んでいる。

 

迷惑をかけてしか生きられない。

誰かを受け入れたい。

カーニバル

何とか「普通の社会人」にならなきゃと気張っていた時期が過ぎ、のらりくらりと日々を暮らすようになって、少しずつ自分のダメな部分が露呈し始めて、冷や汗と苦笑いが増えた。

 

昼間はもう暑いようで、愛猫が空を見て寝ている。夜は散歩するのにもいい季節なんだけど、簡単に外にも出られないからぼんやりと空想する。秋の夜長は好きだけど、春の夜長は蒸し暑くて得意じゃない。だから歩きながら、というよりぼーっとして風を浴びながらお酒を飲むのがいい。

在宅勤務のおかげで少し遅くなった生活リズムに合わせて、夜長に梅酒をロックアイスで割ってぐぐっと飲む。そういやさっき入眠剤飲んじゃったなあとか、少しだけ顔を綻ばせながら。

 

 

あぁもう全てやりきった、もう十分だ、思い残すことはなにもない、なんて、映画やドラマだったらエンドロールが流れるような場面に遭遇したって、人生は終わらない。

その先も続いていく。

 

エンディングテーマが流れるクライマックスが人生に仮にあったとして、仮に乗り越えたとしても、その後エピローグなんて長さじゃ済まない人生が続く。

 

もしかしたら、その映画やドラマの中ではエピローグに該当する部分が本当の人生なのかもしれない。生きるってことなのかもしれない。

もしかしたら今の自分の人生は、本当の人生なのかもしれない。

悩み抜こうが、考えつこうが、決意しようが、天秤にかけようが、苦労しようが、どうしたって人生は続く。その漠然とした息苦しさに耐えられない時もあると思う。

 

 

本はそれほど読む方ではないんだけど、気に入ってしまった本を繰り返し繰り返し読む癖がある。何度も何度も、手垢でページがボロボロになるまで読み返す。自分の血肉にするように、何度も何度も。昨日、昔読んでた本をもう一度読みたくてAmazonで検索してみたら3万円もした。実家にならあるかなぁ。

 

 

焼肉が食べたいよ、今一番自分の原動力になっているかもしれない。

単純なもんだなあ。焼き過ぎて黒こげになったカルビ傍目に、つまんない話して笑いたい。

 

信仰心

人間関係は永遠に続く信仰ではなく、互いの努力の上に成り立つ契約だ。

友情だって、愛情だって、家族だって、放ったらかしで永久に続かなくて、関係を持続させるための最低限の努力をしないとあっという間に消えていく。

気づいたら靴紐が解けているのに似ている。いつも絡みあって転がってから気付く。

今ある人間関係が何もしないで永遠に続くと思っているなんて十分宗教的だ。

 

会おうとしないと、会わないから、会わなくなっていく。うまく言えないけど、そう思う。

 

 

求めようとすると酷い目に合うから、せめていつも受け入れる側でいたい。

ルールから、レールから外れてしまった感情を受け入れてあげる人間でいたい。

どれだけ振り回されようと、蔑ろにされても、受け入れる人間でありたい。

本当は、許されたいがために許すのは間違っているけれど。それでも。

 

 

この長いトンネルはいったいいつ抜けるんだろうかなぁ。