備忘録

遺書代わり

アパシーシンドローム

休職した。

休職そのものは少し前のことだが、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

 

原因は自律神経失調症鬱病だ。

その病気の原因は仕事そのものというより、仕事場での人間関係で…それはまぁいいや。

先生からはとにかく原因となっている現場から離れることが大事だっていわれた。

今後の進退を決めるにしても、ともかく心のエネルギーが枯渇している状態じゃ難しいから、まずは回復することを優先するようにとのことだ。これは分かる気がする。悲しい時に決意するな、とは言ったもんだ。

 

 

休職のきっかけは嘔吐だった。

朝、パンを食べたらそのまま吐いてしまった。完全に身体が拒否反応を示したのが分かった。それまでも、2週間くらいまともにご飯が食べられず、1日1食、それもパン1つみたいな生活をしていた。エネルギーをつけようと、それ以上無理に食べようとして吐きそうになってやめる、みたいな食生活だった。なのに、そのパン1つすら食べられず吐いてしまったことが、自分の中でもう決定的だった。苦しくて苦しくて仕方なくて、でもどうしていいか分からなくなっていた。

 

今はさすがに軽減したが、食欲はあまり戻っていない。1日1食、さすがに少し痩せたような気がする。不幸ではない、ということは幸福であることではない。ぼんやりと幸せみたいなものを求めていたけど、結局遠くからぼんやり眺めているだけしかできないんだろう。

幸福って、馬の前でぶら下がる人参と似ている。

人生は、力いっぱい出し切って何かを成し遂げた瞬間に終わってくれない。映画やドラマならエンドロールが流れるような場面になっても、それでもその後も人生はダラダラとつづいていく。むしろそこからが本当に、人が生きる、ということなんだろう。

 

 

ストレスから離れて、少しは気持ちがマシになったが、今まで楽しかったことが相変わらず楽しくなくて時間を持て余してしまっている。

映画も、料理も、ゲームも、漫画も、バラエティ番組も、もっと楽しく感じてたはずなのにな。有り余る時間と自由を何にも消化できずに、日がな一日なにもできないでいる。何をするのにも億劫で、気分転換すら億劫だ。散歩とか睡眠とか食事とか水タバコとか人とコミュニケーションを取るのすら億劫だ。でも時々、嫌な想像とか思い出が頭をよぎったり、頭をかきむしるような悪夢を見たりしている。

 

 

気持ちと思考をずっと整理している。

部屋を片付ける前に物がどこにあるのか、どこに置くべきか把握する作業を延々と繰り返しているのに似ている。

考えれば考えるほど、この状況に陥っているのが自分のせいで、自業自得としか思えなくて、自分を変えようともがいてもがいて脱却しようとして、それでも無理で、どんどんエネルギーが枯渇していった。自責の念が強くなるのも症状の1つらしいのだけど、だからといって、はいそうですかと切り替えられるわけがない。

 

 

 

希死念慮と一口に言うが、死にたいという欲求が強いというより、生きているのがしんどいという思いが強い。

 

生きていたくなかった。

だけれども、死んでも迷惑がかかる。

だからなるべく、俺は、生きているわけでも、死んでいるわけでもない状態になろうとしていた。

だからといって、そんなアパシーな状態でいることに耐えれるほど強くない。

だから、無理やり日々に刺激を作るためにアルコールを啜るのだろう。

ずっと普通に生きたかったと思うのだけど、もしかするとそれこそ烏滸がましい願いかもしれない。リセットボタンが欲しいな。

 

 

ずる賢いことに俺は、人間の感情というものは長続きしないことを知ってしまっている。心のどこかで、いつか終わると思ってしまっている。喜びも愛しさも悲しさも苦しさも経年劣化していく。生きてそしていつしか、この苦痛も俺も青かったと嘲笑うんだろう。色褪せてしまって、苦しみも悲しみも思い出に変わってしまう。

だからその前に。

 

 

 

今度ふらっと東京に行って友達と飲もうかな。飲んでくれるかな。