備忘録

遺書代わり

閉塞感と疲労

下書きが3つくらい溜まっている。

書きたい内容がたくさんあるのだが、書いてるうちにまとまりがなくなって、疲れてしまってやめてしまった。書きたい内容ではあるから、そのうち気分が乗れば書くんだろうけど、なんとなく書き切れない自分に嫌気がさす。

 

最近はとにかく会社に行きたくない。

仕事が辛いとか、ブラック企業であるとかではない。むしろホワイトな方ではあると思う。

むしろもう少し忙しい方が何も考えなくて済むのになぁなんて思いながら。

会社に行きたくない理由はまぁ小さいことなら色々あるが、大きい理由はやっぱり人間関係なんだろう。

人間関係が苦手だから、上辺だけの会話が上手くなったし、人間関係が苦手だから自己完結できる趣味や遊びが好きだ。

なんかもう根っこ部分をなんとかしなきゃいけないんだろうな。

 

やっぱり甘いのかもしれない。

どれだけ外の人から、周りの人から何か言われても自分の中で拒否反応が出てしまったらもうどうしようもない。

心のスピードは頭よりもずっと早い。一生心を追いかけながら過ごすしかない。

 

 

それでもやっぱり、朝が来るたびに憂鬱で、夜は毎日死ぬ気持ちで布団に入る。日々が楽しくない。こんな余裕のない状況で楽しめるわけがない。毎日少しだけ現実逃避をして日々をやり過ごす。タバコもご飯も美味しくないし、吐き気がする。

そういえば、不眠が一転して過眠になってしまったと書いたけど、それは相変わらず継続している。寝ても寝ても疲れが取れない。睡眠時間が極端に長かったり短かったりするわけではないが全く寝た気がしない。以前のように夢を見るようなこともないからしっかり寝れているはずなんだろうけど、なぜなんだろう。

本当に朝起きて休息が取れた気がしない。むしろ寝た後の方が疲れている。

 

 

誰か助けてくれ。

病気について書いてあるインターネットの記事とか本とかを読むと、解決策として色々提示はしてくれる。実際に効果的なんだろうけど、実態に沿ってないとは思う。

だいたい多いのが、睡眠時間の確保をしましょうだ。

 

寝て何とかなるのなら、初めから寝てる。むしろ寝たくても寝れないのが問題だったりする。それに、睡眠時間を30分〜1時間伸ばすよりも、仕事が終わった夜に何か自分の好きなことをやる時間を作る方が健全だろう。帰って寝て朝起きるだけの生活はどれだけ睡眠時間が取れていても心が磨り減るだろう。

そして趣味に没頭しようなんて書いてある。さっきなにか好きなことをした方が、と書いておいてアレだが、本当にメンタルがイカれてしまったときは好きなことが楽しくない、楽しいと思えない。それが自分も本当に辛かった。好きだったはずのことが楽しいと思えない、というのは本当にしんどい。気分転換もできないし。

 

次にあるのは、だいたい周りの人の助けを借りようだ。

これに関しては本当に意味がわからない。

そんな簡単に誰かに助けを求められるなら、そして助けてくれる誰かがいるのなら、最初からこんな事態に陥っていない。

 

もちろん、きちんと言えば周りの人は手を貸してくれる人はたくさんいるのだろう。心配してくれる人もいるんだろう。でも責めるわけではないが、その人にとっても他人事だ。ずっと気にかけてくれるわけではない、本当に親身になって解決までずっと話を聞いてくれるわけではない。人間はそこまで完成されていない。自分のことでもともと精一杯なんだ。それなのに人の辛さまで背負える人なんて一握りもいないだろう。再三いうが、責めるつもりはないし、それが当たり前だと思う。

そして、だからこそどんどん誰にも言えなくなる。それに優しい人ほど、しっかり気にかけて心配してくれるが、結局解決できるのは自分だけだ。その人の思考に余計なマイナスな感情をぶち込むのは気がひける。

そしてその時どれだけ心配してくれようと、少し時間が経てば忘れてしまう。それは本当に仕方ないことで、自分も相談に乗った時、それからしばらくはそのことばかり考えて解決策を考えたりするが、気付いたら忘れている。その人はまだ悩み続けているかもしれないのに。

 

さらに言えば、自分のように双極性障害自律神経失調症の気がある人は、普段(というか対外的なとき)は元気に見えるし、平常運転に見えてしまうのもあって、気分や体調が芳しくないときに毎回誰かに頼ってしまっていたら、どれだけ優しい人でも「またか」と思うだろうし、「昨日まで元気だったのに」なんて思われてどんどん相手にされなくなるのは分かる。そうやって、見捨てられてしまうことに異常に怖さを感じるから何も言えなくなる。

怖いんだろうな、こんな自分から誰もいなくなってしまうのが。もう誰もいないのに。

 

 

そうやって、人にも話せず、好きなことをできなくなり、部屋で一人で虚を見つめて時間を過ぎるのをただ待つのみだ。幸いなことに、自分はまだ躁状態のときもあるから、そんな生きながらに死んでいるような状況は多くはない。

でもときどき、そうして、何もできないで虚を見つめている。

こうして人と関わるのがしんどくなってしまう時期がどうしてもある。ごめんなさい。

 

 

この閉塞感がなによりも人を殺していくのだと思う。

誰にも頼れない、何もできないという閉塞感が。

また今日も甘ったるい自殺願望と一緒に布団に入る。

 

 

今日なんとなく考えていたことは、自己分析から出てくる自分の精神構造とそれに伴う自己嫌悪について。いずれ文章にしたい。