備忘録

遺書代わり

悪いやつは誰だ

斜陽と零落は同じ意味なのかな。

誰かを照らせるほど暖かい感情になれたこともないし、実りがあるほど高く積み上げられたこともない。だから凋落もしない。ずっと低空飛行だ。

 

新しい薬は毎食前に飲まなきゃいけない。なかなか習慣づいてなくてうまく飲めていない。昨日くらいからちゃんと飲むようにしたんだけど、副作用なのだろうか、今日はとにかくずっと頭がグラグラして目眩がして立っているのがしんどい。

頭が痛かったり眠かったりはしないし、座ったり寝転んだりしてると平気なのだが、歩くとふらふらと目眩がする。最近またあまり寝れないから疲れなのかもしれないなぁ。

 

 

 

説教じみたことは言いたくないけど、日本は被害者非難が妙に強いように思える。「自業自得」とか「因果応報」という言葉がみんな好きだ。悪いことをすれば悪いことが返ってくるという意識を強要・共有することで、善意を強いているのかもしれないな。

悪人でも不幸な目に会えば憐れまれるべきだとも思うけれど、一方でたしかに自分も傷付けた人間は傷つくべきだと思うし、悪いことした人間は不幸になるべきなのだと思ってしまう心もある。だとしたら今の自分は過去の悪徳が返って来ているのかもしれないなぁ。自分ではあまり道を踏み外さずに来たつもりだったから、アンバランスなようにも感じるけれど。もっと悪いことをしている人間はいるように感じるし、そういう人が報いを受けていないのはやっぱり不平等にも感じる。そしてこんな考え方をしている自分がひどく嫌いだ。結局悪いのは誰だ?悪いのは誰だ?人の粗探しをする自分、誰かを不幸を望んでしまう自分、自分を嫌う自分、それこそが悪徳なのだとしたら、もう引き返せないところまで来てしまったのかもしれないなぁ。袋小路と分かっている道を迷いながらふらふらと落ちて行くだけ。

 

 

つまりは、被害者非難は良くないと思うけど、誰かを傷つけたり悪いことした人にはそれ相応の目に遭って欲しいと思う自分がいて、それこそが因果応報の考え方で、自分が良くないと思っていることを願っている自分こそが一番悪い、だから自分の理論では自分にこそ報いを受けるべきなんだ。メビウスの輪みたいだな。ウロボロスの方が近いかな。

色々悩んで、結局自分が悪いんじゃないかってスタート地点に戻る。クレイジークレイマーのように「お前が一番正しいんだ」と言ってもらえるだけで納得できてしまう迷路の袋小路。

自分の価値観を自分で言い負かして、それをまた否定する言葉遊び。

 

 

 

 

お酒を飲むと血の巡りが良くなって傷口がジンジンと痛む。少しだけ自傷する人の気持ちが分かった。戒めなんだこれは。今度してみようかな。それとももう一度飛び降りるか。

 

誰かと連絡を取ったり会ったりできているときは、そんなに気分の悪いときじゃないから、そんなに心配しなくて大丈夫だよと思ってしまうけど。本当にどうしようもないときは人と会うのもやめてしまうし、連絡も返せなくなる。人とコミュニケーションを取る元気もないし、うまく会話できない自分に嫌気がさすし、心配されるのが申し訳なくなるし、そもそも無気力で何もしたくなくなる。でもそういうときにこそ人と会いたい、人と会った方が会話した方が回復するというアンビバレンスな感情をどう転がしたらいいんだろう。

 

 

 

 

とにかく今日も真夜中の散歩をしよう。

誰か俺の想像や考えを止めてくれ。想像力がどこにも行けなくしたって話でさ。

学生時代に会った人たちで、もう二度と会わない人はどれくらいいるのだろう。