備忘録

遺書代わり

わるいひと

ポジティブになるためには、抑鬱気分を解消するためには、運動をしようとか朝日を浴びようとかゆっくり寝ようとか、出来ない自分認めようとか信じようとか、ゆっくりお風呂に浸かろうとか、マッサージをしようとか、好きなことをしようとか、もう食傷気味だよ。

 

そんなことしたって解決しないってもう十二分にわかった。出来ないなりに一生懸命色んなこと頑張った。自分で「頑張った」と言えるくらい。

早起きをして、きちんと朝日を浴びて、運動も適度にして、人としっかり関わって、時には傷ついたり、悲しくなったりしながら、しっかり過ごせる自分を褒めて、ゆっくり休んで、それでも希死念慮は止まらないし、自分は死んだ方がいいとしか思えない。

 

自分の内面をなんとかするために、出来ない色んなことに手を出す自分に嫌気がさすし、逆に全て辞めて休んでしまえば、何もしない自分に嫌気がさす。

とてもじゃないけど、人と会えるような気分じゃなくても、無理して人と会うようにしているけど、なんかそういう日はうまく話せなくて落ち込むし、また嫌われたのかなとか考えて悲しくなる。人とうまくコミュニケーション取れない自分が嫌いになる。

どんな風に俺は人と距離を取ってたっけ。

 

対人関係をどうしていいかもうわからない。

たった一人で生きられたらな。それは無理なのは分かっている。甘えなのかなぁ。

結局自分は「甘え」なんじゃないかと思って泣きそうになる。毎日何かで泣いてる気がする。

考えたくない。

 

このブログ、しっかり考えれて書けているときと、マイナスに感情が振り切ってぶつけているときの差が激しい。もちろん今日は後者だ。

 

 

傷つきやすいこと、繊細なことは自分の1番ダメな部分だと思ってきたし、ほとんどの人がそう言うだろう。自分でも鈍感になりたいと思っていたけど、最近は考えた末に、繊細であること、傷つきやすいことの何が悪なのかと怒りが湧いてくるようになった。傷つくことを言われて傷ついて何がダメなんだ。

 

そうは思っても、傷ついてると思われたくなくて、変に気を遣われたくなくて、ヘラヘラしてニコニコして笑顔を貼り付けて平気なふりをしてみせる。下手くそだけど。目が死んでるらしいけど。

 

なぁ、何がダメなんだ。

繊細であることの、さ。

 

 

傷つけるような言葉を吐く方が悪いんじゃないか?

悪いのは誰だ?

 

 

 

薬が切れてから本当に最悪の気分だ。

早く紹介状をもらって、薬を貰わなきゃ。

吐きそうだ。