備忘録

遺書代わり

いのちの電話

「死にたい」と検索窓に一度でも書いてみたことのある人なら知ってるだろう、いのちの電話に電話しようとした。結局繋がらず辞めてしまったけど。正式名称はこころの健康相談ダイヤルだっけ。(あとで調べたら繋がらないことが多いんだそう)

死にたい気持ちが耐えきれなかった。吐き出す先がなくて、どうしようもなかった。

 

それに至るまでの経緯としては単純だ。

負のエネルギーを纏った薄暗くて強力な積乱雲みたいな「死にたい」という感情をどうすること出来なくなっていた週末だったからだ。

土曜日は何となく風俗に行って、でも何にもする気が起きないから、「なんかもう疲れちゃったんだ、ごめん」とか言って、50分間ずっと名前も知らない女の子の膝の上で寝ていた。

「お仕事で辛いことがあったの?」とか「人間関係に疲れたの?」とか「彼女さんとどうしたの?」とか、かりそめの愛情とニセモノの優しさでただただ聞いてくれた。

情けなさからなのか、(ニセモノであっても)優しさに触れたからなのか、涙が溢れそうになった。

こんな鬱屈した無気力で攻撃的な感情を誰かに向けることの罪深さに耐えきれず、友人にも恋人にも会社の同僚にも先輩にも、家族にも、名前も知らない女の子にも言えなくなって、SNSかブログしか吐き出す先がなくて、でもどっちも自分の負の感情で飽和していたから、もうGoogleの検索窓にしか書く場所がなかった。

言葉にしたって、その薄っぺらさに吐き気がする。結局何の返答もない心地よさに甘えたいのだろう。

よく、一人で考え込まないで相談しな、て言ってくれる人がいる。たぶんそういう人たちは相談したり話したりした後の、虚しさとか悲しさとか情けなさを味わったことがないんだろう。それでも悪気がないのは知ってるし、そういう人たちに救われてきた人もたくさんいるだろうから責める気はないんだけれども。

そうして日曜日は無気力になってただただ寝ていた。

 

「死にたい」と検索することは初めてじゃないし、いのちの電話が最初に出てくることもよく知っている。かけたことはなかったけど。

だいたい検索すると大きく4つくらいの種類のサイトが出てくる。

・自殺するのはやめましょうなんて、実体験とか身内の話を書かれたブログ

・自殺の方法や、その成功率後遺症の並べているサイト

・俺のブログみたいに負の感情が詰め込まれたブログ

・来世がどうとか宗教じみたサイト

 

特に欲しい情報なんてないけど、そんなものを見て気を紛らわす。こんなものを見たところで、死にたい気持ちが和らいだり、強まったりするわけがないと知りながら。同感は出来ても共感はできない。

 

 

過眠と不眠を繰り返して、食欲が死ぬほどあったり何も食べられなかったり、自分の体調が全く掴めない。

考えれば考えるほど、今自分が陥ったこの状況は自業自得、報いであるような気がしてならない。だから、結局誰にも言えないでいるのかもしれない。

その一方で、どこかの誰かにせいにしたいような、開き直ってしまいたいような感情もある。身勝手だよなぁ。

 

 

病院に行くにしても、誰かに相談するにしても、「自分の状況を的確に言語化する」という行為にとても苦痛を伴う。

まず、どうしようもない時はもう考えが何周もしてしまっていることが大半なので、その軌跡をもう一度辿るのはとても大変だし労力がいる。向き合いたくもない自分ともう一度向き合わなきゃいけない。それにだいたいきちんと考えの軌跡通りに話せない。そんな自分に嫌気がさすし、結局何も言えない。仮にうまく言語化出来たとしても、自分の状況が情けなくて、甘えに思えて、悲しくなっていく。

そして結局解決策がないのは知っているからだ。結局は自分で何とかするしかない、それがきっとどこかで分かっている人の方が、苦しむし自殺願望が溢れてしまうんだろう。人と話しをして、目が覚めるような方法があるわけないってどっかで知ってしまってる。

 

 

こんなこと言いつつ、どこかひとに甘えてしまう自分がいて嫌だなあ。

誰かと夜通し何でもない話をしたいよ。