備忘録

遺書代わり

許容と肯定

また睡眠薬を飲んでから書き始めてるから途中で文章が終わってしまうかもしれないごめん。

 

以前、他者から無条件に受け入れられたい自分を自覚できて、自己嫌悪に浸りながらも胸のつかえが取れたと書いた。

その身勝手で図々しくてどうしょうもない想いは変わらないが、どうにかしたいと思う。

自分の感情なんて自分で把握するのが難しいと思うんだけど、聴きたい音楽で何となく自分の気持ちを把握できるようになってきた。

 

あぁなんか、言いたいことはあるけど、眠くなって来て考えがうまくまとまらない。なんとか言葉にしてみる。

 

 

許容と肯定は違う。

自分は自分を許容できないままでも肯定したい。

自分は相手から肯定されないまま許容されたい。

 

これが自分のねじ曲がった価値観だと思う。異常なまでな自己否定の裏側には自分への期待があると思うし。(それがまた自己嫌悪に繋がることは何遍か書いたな)

 

でも相手には、才能もないし出来損ないし人として価値は薄い人間だと言われようが、それでも好きだ、それでも友人でいたい、それでも生きてていいよ、と言われたい。

許されたい、に近いのかもしらない。

 

 

生きるのが苦しいね。どうしたらいいのか、答えを教えてくれ。

ぼんやりとして希死念慮が時々具体的な自殺願望に昇華していって、怖くなる。生きててよかったと思えることに出会えるといい。

 

生きろ、なんていらない。

生きて、もいらない。

生きてもいいよ、が1番欲しい。

 

自分の底知れないわがままな感情に気持ち悪くて吐き気する。

 

 

人生に休みが欲しい。休憩したい。

このまま目が覚めなければいい。

 

おやすみ、スリープモードにするよ今日も。