備忘録

遺書代わり

希薄な人間関係

最近色々と考えることが増えたんだ。

薬とか環境の変化のせいかなぁとも思うけど、やっぱりハイとローを繰り返してるだけなのかなぁ。

考えがまとまったらまた長めに書こうかなぁ。

 

SNS上にもSNSだけの人間関係がある。

SNSも嫌いじゃないから仲良くしている人たちはいるけど、自他ともにふっと消えてしまえばどうすることもできないう圧倒的な身体的の関係の薄さがなんとなく苦手だ。

いや、きっとリアルのなんにでも付きまとう面倒な人間関係がしんどい人ほど、このインスタントラーメンのような手軽なコミュニケーションを好むんだろう。

面倒になれば、遮断することが簡単だ。

何回でもセーブロードできるし、ニューゲームもできてしまう。

 

だから逆に自分は好きじゃないんだと思う。

その人のめんどくさいところも、いいところも、悪いところも、嫌いなところも含めて、その人と付き合うということだと思うし、それを放棄していいところどりするのは、その人が好きなのではなくて自分が好きなだけだと思う。

理想の部分だけ切って貼って、都合良すぎるぜ。

それでいて、理想が外れてたら「思っていたのと違う」だの、「最近変わった」などと、都合良すぎるぜ。

 

でもこんな価値観も押し付けでしかない。

自分だって今日も誰かに疎まれていて突き放されているかもしれない。

怖いなぁ。

だからせめて俺は何があっても味方だ、友達よ。

 

 

 

10月の深夜、初秋の風が撫でる歩道橋で書いた。