備忘録

遺書代わり

答え

みんな、答えが欲しいんだろうな、と思う。

これをしたらいいとか、これを信じればいいとか、誰を信じればいいとか、どうしたらいいか、とか、明確な答えを教えて欲しいんだろうな。

 

でないと、どうしていいのか分からないし、何を信じて進めばいいのか分からない人が多いような気がする。

人は「自由」を無駄に求めるし、自分で決められないのは嫌なのに、きっと答えは欲してしまう。

だから、◯◯な人は◯◯な特徴があるので◯◯をしましょうだなんて書いてあるブログやら自己啓発本が流行る。

あくまで答えが欲しいだけで、それを決定するのは自分でありたいという薄汚い欲望が見える。僕はどうしたらいいんですか?と言ってしまえたら楽なんだろう。

 

 

 

俺もずっと答えを求めていたんだな、と今日はひどく痛感した。

感情の落とし所とか、感傷の捌け口とか、怒りの矛先とか、復讐心の発散方法とか、希死念慮の消化の仕方とか、全部教えてくれて良かったんだ。「お前はどうしたいんだ?」なんて悩みの解決策はあんまり意味のない言葉かもしれない。(その内容を答えだと言ってあげることは意味があると思うけど)

なぁ、俺はどうしたらいい?疲れたよ、もう。

 

人生にちょっと、疲れちゃった。

無駄に不必要に傷つきやすい人は世間からは弱い人間だとみなされ、蔑まれ、疎まれ、繕うために「良い人間」だと偽ってニコニコして、でもそんな自分に疲れて、影で誰かを嫌えるほどエネルギーもなくて。許せない、なんていう身勝手な感情だけが積み重なって行く。

謝ってほしいんだろうか。俺は。誰に?何を?そんなの身勝手だし、そんなものに固執してる自分にも疲れる。謝罪の言葉でスッキリするわけもないし。結局許せないのは自分だし、嫌いなのは自分だし、死んだ方がいいのは自分なんだろうな。怒りの矛先をどこに向けていいかわからなくて自分の腕に向けているだけ。

 

 

こんなにも壊れた自分を優しくしてくれる人たちだけは大切にしなきゃいけないと、思っているけど、それだけで人は生きていけない。そんな生ぬるい生簀みたいな環境では人は生きていけない。

ストレスの海に頭から突っ込んでいくしかない。壊れそうだ。

あぁ、やっぱり救われたいな。

ごめんなさいごめんなさい許せない、ごめんなさいごめんなさい許せない、許せないごめんなさいの繰り返し。

 

 

ずーっと繰り返し。

また感情の整理がついたら書き起こしたいな。

 

 

 

なんか、昔の誰かと連絡を取りたくなった。