備忘録

遺書代わり

自死は美か奇習か

バラエティー番組をぼんやり見ていたけど、この人たち幸せそうだなぁと思うと全然笑えなくなってきてしまって、煩わしくなって消した。この1ヶ月くらいまともにテレビを見ていないなぁ。前はあんなに好きだったのに。「楽しい」って感情はどこ行っちゃったんだろうなぁ。

 

 

お酒と睡眠薬の相性が悪いのが1番の悩みだ。酔っ払って気持ちよくなってそのまま眠りたいのに、先生はお酒を飲んでから2時間くらいはあけなさいと言う。ビールを1リットルくらい一気に飲んで気持ちよくなって、酔いが醒めて青ざめて、自己嫌悪が若干顔を出してからいつも薬を飲む。しらふでいたくないだけなのに。

 

 

 

集団自殺とか自殺掲示板とかの奇習について考えていた。昔は意味がよくわからなかったけど、今は少しだけ理解できる。人間は、どれだけ追い込まれて、死にたくなっても、最期の最期まで人と繋がっていたいんだよな。もうそれは本能に近くて、死ぬことの恐怖とかより人との繋がりが消える恐怖の方がよっぽど大きい。もしかしたら今俺が死なないのはそれが理由なのかもしれない。誰にも彼にも見捨てられたらすぐにでも死ねるのだろう。

 

 

 

 

 

「生きていればいつか良いことがある」という言葉が世界一嫌いだ。貧乏で苦しんでる人間に対して、いつか宝くじ当たるかも知れないでしょ?と言うのと同じだろ。

そのうち良いことあるんだ〜程度の思い込みで幸せになれる脳みそを持っているなら初めから幸せだ。でもその人たちも無神経に発言しているわけじゃないことはわかる。本当にそう思うこともあるからそう言うのだろう。それでも信じるに値するものはどこにあるんだ。

 

 

 

 

八つ当たりの偽悪をひけらかしたいだけなら、そのだらしない下水溝みたいな口を閉ざすべきだ。

 

 

 

 

復讐が生きる意味になってもいいのなら生きられるのかもしれない。