備忘録

遺書代わり

考え事

考え事していると気が狂ってしまいそうになるけど、みんなはそんなことないのだろうか。

悪い想像ばかり膨らんでどんどん自分を押しつぶしていくような感覚をおぼえる。自分に潰される。この悪い想像の膨らみ方は、普通の人も当たり前にしてしまうのか、自分の情けない心から来るのかわからない。

 

 

道すがらストロングゼロを5分くらいで飲み干してしまったから少し酔っ払ってしまって考えがぼんやりする。なにに不安になっているのだろう。不安になるということは期待しているとうことなんだな、と思う。まだ自分は誰かに期待してるのか。ここまでされて、こんなことになってまだ人に期待するのか?なんで期待などしてるのだろう。みんな台無しになれ。壊れてしまいそうなにかを必死に抱えて守っているような感覚を最近はずっと持っている。たぶん、自我とかそういうものなんだろうな。

きっと誰も助けてくれない。きっと誰も助けてくれない。

 

わかってるわかってる。人は、明るい人が好きなんだ。ひたすら暗いだけの自分は人に疎まれ、蔑まれ、馬鹿にされて無視される。無かったことになる。思い出したように大丈夫?なんて心配したフリをされるだけ。わかってる。

明るくなきゃ人間は生きていてはいけない。社会と繋がれない。前向いている人間だけ歓迎される。

それが正しいのは一番わかってる。だから周りに文句は言わない。わかってる。わかってる。

わかってるから、どうしようもなく辛い。前を向きたいよ。未来を信じたい。

いつだってみんなが正しい、それがわかってるから、そうなれない自分が一番つらい。

 

 

朝はなかなか起きられなかった。いつもは薬を飲んだらすっと7時間で起きられたのに、10時間くらい寝てしまっていた。眠れて良かったのだろうか。疲れが溜まっていたのか、寝ていなきゃいけないくらい現実が辛かったか。

 

 

 

昨日心療内科の先生に、死んでしまいと思ったことがあるかと聞かれて「はい」と答えるのが心苦しかった。「具体的な自殺方法を考えるか」と聞かれた。インターネットの検索窓に死にたいとか、楽な死に方とか調べてしまう自分は「はい」と答えるほかなかった。

電車に飛び込むのは迷惑をかけ過ぎてしまうし、結局首吊りか飛び降りが安定なんだろうな。はたまた交通事故であっけなく死んでしまいたい。

 

先生に早合点しないようにと言われた。そんな言葉でやめるなら、とっくに立ち直ってると思う。

まだ病気ではないと言われた。少しだけ安心と不安が残った。まだ常人である安心と、それでいながら人とは違う弱さを持っているという不安。

1週間にどれくらい涙を流すか聞かれた。1,2回と正直に答えると、多いね、と。たしかに最近は油断すればすぐに泣いてしまう。

 

抗うつ剤を試すかと聞かれた。少しだけ怖かったが、これでもし楽になれるならそれに越したことはない。その辺の薬を飲むかどうかも患者に任せるようだ、飲まないで根気よく治していく方法もあるらしい。

薬ら朝飲むものだっが、今日は朝遅かったから昼過ぎに飲んだ。副作用で少しだけ吐き気がした。効果が顕れるまで長い時間かかるものらしく、すぐに楽になる薬ではないらしい。

 

それとは別に不安になった時に飲む薬をもらった。それは1日3錠までらしい。依存が形成されてしまうかららしい。もったいないと思ってしまう自分はなかなか飲めない。怖い。どれからが不安なのだろうか。ずっと不安を感じている気がする。あぁ。誰かのせいに出来たらな。誰かを信じていればいいと思っていた。もう無理だ。

 

 

 

みんな傷つきながら生きていて、どうして、どうして、どうして。

いなくなりたいと思わないのだろうか。

辛いことばっかりじゃないか。

 

 

 

つらいこと、ばっかりじゃないか。

みんな酔っ払ったように楽しんで、なんで自分はこんなに苦しんでしまうのだろうか。楽になりたい。楽になりたいよ。

 

 

 

 

読み返してみると分裂症のような、途切れ途切れな文章だな。なんだか自分の今の状態がそのまま現れているような感じだ。

読みづらくてごめん。うまくまとまらないんだ。