備忘録

遺書代わり

空っぽ。空洞。

月曜は死にたいと思った。火曜なんて覚えてもいなくて、水曜はなんか全部グレーで、木曜はクソみたいな気分だった。金曜は消えちまえと思った。土曜なんて煙でラリった。そんな一週間の果ての果て。

 

 

俺はこれからどうやって生きていけばいいんだろう、と最近は思う。

こんな風に成り下がっても仲良くしてくれる人たちのためにちゃんと治さなきゃといけないと思う。病気なのかは知らないけど。病気じゃないかな、じゃあ復帰復活だ。

 

なにかを変えるには絶対に自分の意思と行動が必要なのは分かっている。誰かの力で自分の何かは簡単に変わらない。そう思っても戦う意思が何度も折れて、どうすれば萎まない気力が湧いてくるのか考えていたけど、もっと追い込まれる必要があるんじゃないかと結論に至った。何としてでもエクソダスしなければ苦しくて仕方ない段階まで行かなきゃいけないんじゃないだろうか。存在していることに苦しんで苦しんで、もうどんな手段を使ってでも脱出しなければ、という固い逃亡意識が出てくる必要があるのかもな。

だとしたら今の自分はぬるい不幸なのかもしれない。友人や薬で一定量の安心を得てしまって脱出意欲が湧かないのかもしれない。やはり何かを得るためには何かを捨てなきゃなのかもな。全て投げ出して逃げる覚悟が、欲しい。

 

 

 

 

いや思えばずっと逃げてきた人生なのかもしれない。俺は今までずっと誰かのために生きてきていたと思う。小さい頃は親や兄弟のため、思春期や青年期には恋人や友人、集団のために。美しく醜い自己犠牲で誰かを幸せにしようとしていた。誰かを幸せにすることで自分に価値があると思えるように、自分も幸せであると思い込むために。誰かを幸せに出来るのは、その誰か自身でしかないのに、醜い醜い自己犠牲的な自己肯定のためにその誰かを利用してきたんだ。

それが今社会人になって、色々と失い続け、全てを引っぺがされて、自分のために生きろ!と言われた瞬間、その自分の中には何にもない、空っぽな存在だと気づいてしまった。虚無感。

醜い自己肯定のために人を利用してきた俺には何もない空っぽだけが残った。だから俺は死にたいんだ。空っぽなんだ。自分の目的のために生きたことがないから、人生が空っぽなんだ。自分を幸せに出来るのは他でもない自分だけなのに。

そうすると俺の今までの人生は全て無意味だったんじゃないだろうか。これから先は自分のために生きることが出来たらいいなあ。生きられるのかな。なんかもうダメだ。自分の人生に踏切の遮断機みたいなのが降りて、先が見えない。死にたいな。やっぱり。どんだけ考えてもスタート位置に戻る自分の思考に嫌気がさしてくる。もう薬を飲んで寝よう。

 

 

 

 

こんな石ころみたいに成り下がっても誘ってくれる友人たち本当に本当にありがとう。また飲みたいよ。家に帰って、付き合いづらい人間でごめん、ごめんなさいと泣いてしまった。何とかしたいな。酸味がかった涙がしみる。

 

 

 

 

 

 

酔っ払って抱き合う男女。混濁した頭で見ればこの世界はきっと美しい。