備忘録

遺書代わり

真っ逆さま

嫌な想像が頭に浮かんでしまう。嫌な記憶が頭にもたげてしまう。嫌な妄想が頭を蝕んでいく。ずぶずぶずぶ、ずぶずぶずぶ。

 

 

 

割り切っていることは美しいと思っていたが、そうではなくて、潔さにこそ醜さが潜み、見苦しいことより遥かに醜悪だ。苛まれ続けることで生まれる美しさはその人にしか宿らないものだと思うし、そう思いたい。昨夜は反省した。人の忠告はちゃんと聞かないとな。傷付きたくないのに、自分から傷付きにいく自分は誰にも救いようがない。

言葉は重いのに、すぐに色あせてしまう矛盾を抱えていると思う。言葉は細長く薄く広がりながら他人や自分を縛り付けていく。だから、事実を言うと不都合だから言わなくなって、気持ちを言うと角が立つから言わなくなって、傷付くから言わなくなって、何も言わなくなって、話さないと不都合だから蓋を閉めたまま話す練習を始めていた。けれどここ2,3日は本音を話せているような気がする。

 

 

昨夜はお酒を飲みすぎて吐いてしまって、今日はどうもおなかの調子が悪い。自己管理がなってないなあ。半分二日酔いで乗る電車の揺動は吐き気を促す。このまま嫌な記憶も吐き出せたらいいのに。眠気と胸焼けからか、涙が溢れてきた。歩いていると爽やかな春の陽光が疎ましく感じた。やはり日陰の人間なのかもしれない、そう思った。

教習所に間に合わなかった自分を嫌悪しながら、五反田の好きなつけ麺を食べに行った。お腹は空いていて食べ始めたけど、すぐにお腹いっぱいになって吐き気がしてしまった。胃が縮みきっているような感じがする。以前よりも美味しいものを美味しいと感じるからきっとマシなんだろうけど。食べ終わってSNSを見たらどうしようもなく鬱屈した感情が溜まってしまった。

ふらふら歩いていると音楽を聴きたくなってイヤホンをしたけど、全く頭に入ってこず、気分が悪くなってきたからすぐに外してしまった。だからといって雑踏の音も耳障りだった。

 

 

最近は人の優しさや温かさに触れる機会が多い。

みんなから親切にされると嬉しくて舞い上がってしまうのだけれど、大抵はその人の品の良さからくる優しさで、誰にでも感じ良く接するのが自然なことなんだ。人を見る目が良いのだと満足して終われれないのは強欲だからで、全く恥ずかしい。

何度も書いたような気がするけど、手を差し伸べてくれる人たちには本当に頭が上がらない。感謝してもしきれない思いだ。それでも改善されない自分がいることを申し訳なく思う。だから人の前では明るく振舞ってしまうのかもしれないな。折り合いのつかない笑顔を今日も貼り付ける。

 

 

 

 

 

あの件に関しては、やっぱりふざけるな、人をなめるな、という怒りが強い。それでも強く当たることはできないし、それを察せない相手にも苛つくと同時に、伝えてないのだから当たり前だと自分を責める気持ちも強い。それにこんな曲がった感情を持ってしまっている自分にも嫌気がさす。ちゃんとしてくれよ、筋は通してくれよ、人の気持ちを考えてくれ。相手にも自分にも憤懣がたまる。

自分が楽になりたいがために人を傷付けてしまうことを、俺はどうしようもなく軽蔑してしまうんだろう。だから自分のことを許せないことも多いのだろうな。

人を強く憎むことの愚かさや醜さに目を瞑ってしまえば、その先は幸せなのかも知れない。誰も憎まずに生きるのはとても険しい。強くなくとも優しく生きたいと思っていたけれど、それすら叶わないのだろうか。

 

 

 

先生には、一錠薬を増やすと言われ、それに伴って副作用も増すと思うが次第に慣れてくるだろうと言われた。いまいち実感はない。倦怠感や眠気、吐き気、食欲減退、胃腸の不調は、副作用なのか体調不良なのかお酒のせいなのかは分からない。久しぶりにゆっくりと自分の頭の中と向き合えて、気分は良くないが思考が安定した気がする。分裂気味だった気分がまとまったのは良いことだと思う。出来ればプラスの方向で固まって欲しかったけれど。

明日は社会人になる。不安はあるが、それどころでもない、というのが本音だ。先生に実感がないということは上手くストレスを逃がせている証拠だと言われた。本当にそうなんだろうか。

旅行と同じで、環境や状況が物理的に、それでいて半強制的に変わるというのが価値観をきっと好転させると信じている。

 

 

 

どうして確かに傷ついたのにそれを無かったことにしなければ、蓋をしなければ、耐えられないのだろうか。正直になるのは怖いけど自分の本音で潰れる程度のものは全てぐちゃぐちゃになってしまえば良いとも思う。このアンバランスさをずっと保ってる気がする。エイプリルフールのように全てが嘘だったらいいのになぁ。

シャッターを切れなかった思い出たちはどうしてこんなに綺麗なんだろうか。

 

 

 

もう一度だけ心に触れたかった、のかもしれない。

そうなのかもしれない。そうだとしたらどれだけ愚かで醜いか。

臆病な俺は別れが近づくと、「ありがとう」の数が増える。被害者でいたい自分の醜さに本当に嫌気がさして仕方がない。