備忘録

遺書代わり

誰かのために

遠い誰かのために必死になれない自分がいて、当事者意識を持てない自分がいて、一生懸命になれない自分がいる。

 

 

俺は自分が思ってたよりずっと、他人に興味がないんだな、と自覚した。

なんて冷たい人間なんだろうか。

 

 

こんなクソみたいな人生でも、マザーテレサのように誰かのために捧ぐことが出来たならもう少し輝いて見えたのかもしれない。

本気で誰かの幸福を喜んであげられないし、本気で誰かの不幸を悲しんであげることもできない。どこか俯瞰してしまう。そのくせ自分の不幸は理解して欲しがったりするもんだから性質が悪いよな。

 

泥だらけで傷だらけの人生だが、結局愛着が湧いてしまって思い切り捨て切ることはできない。

せめて誰かを愛していたかった。

出来れば愛されていたかった。

 

 

考え過ぎて脳みそが疲れてきたから、今度はこういう頭の整理以外の日々のこととか日記みたいなものを書いてスッキリしようかな。

 

 

先週はみんな、ありがとう、また東京に戻りたいと思ったよ。

それがただ縋っているだけだと非難されても。侮蔑されても。居場所があるような錯覚を得たんだ、何にも代え難い気持ちだった。

 

 

 

 

 

追記。

 

あてどなく考えていたけど、他人に興味がないというのは、なるべく自分のエネルギーを使わないようにするための防衛本能のような気がしてきた。

誰かを憎んだり怒ったりするのにもとてもエネルギーが必要だし、誰かを愛するのにも寄り添うにもエネルギーがいる。悲しむのにエネルギーはいる。誰かのために自分のエネルギーを使い切ってしまわないように心が勝手に蓋をしてしまっているのかもしれない。

今自分の心は、自分のことでいっぱいいっぱいだから、余裕が出てきたらきっと、誰かに興味を持てるようになるんだろう。

愛するから愛して欲しいし、許すから許して欲しい。受け入れるから受け入れてほしい。わがままでごめん。

 

おやすみ。