備忘録

遺書代わり

潮味の風

ご無沙汰してます。約1ヶ月ぶりだろうか。

楽しくて書きたいことがなかったわけじゃないし、気分がずっと良かったわけじゃないし、特別忙しかったわけじゃないんだけれど、何となく筆が乗らなかっただけなんだ。

嫌なことは重なるというか、一度気にすると重なっているように感じるだけなのかなぁ。カラーバス効果に近いのかもしれない。

 

福岡の生活は楽しい。美味しいもつ鍋は食べた。博多ラーメンは意外とそこまでではないかな。ただ、落ち込むこともあったし、つまらなく思うこともあるし、殺したくなったり、死にたくなったりしながらぼんやり生きていた。

川沿いの家で風が気持ちいい。海まで歩いて15分くらいで、ぼんやり海を見ながらビールを飲んだりしていた。

 

 

7月の上旬は気分が良くて、ほとんど死にたくなかったけれど、ここ1週間くらいは本当に最悪だ。

なんとなく悪いスイッチがあったような気がするけど、一度入ってしまうと連鎖的に今まで気にしなかったような些細なことが気になってしまってイライラしたり、ピリピリするようになっていた。嫌なことを想像したり、思い出したりする。あのひどい時期が戻って来たのかな。

拒食と暴食を繰り返している。お腹いっぱいで食べられないと思っていてもご飯食べたくなってしまって食べて、気持ち悪くなって吐き気がしたり、何も食べたくなくなって気持ち悪くなったり。内臓も落ち着かない。

やっぱり波というか周期的なところがあって、なんとなく結局改善していないような気がする。真人間に戻れた錯覚を何回すれば気がすむんだろう。

 

2日連続くらい何となく抗うつ薬を飲むのを忘れてしまった。次の日、泣きそうになるくらい気分が沈み込んでしまって、さらに次の日にはもうダメになってしまってカッターを手にしてしまった。意外と薬はちゃんと効いているんだなと思う。気分の波を抑える薬もきっと効いてるんだろうな。睡眠薬だけはしっかりと飲んでいる。意識を失うように眠りに落ちて、夢も見ずに記憶無くして迎える朝は幸せだと言える。でも、ちゃんと薬を飲んで、近いうちに病院に行こう。頭がパンクしてしまう前に。

 

 

突発性難聴はもう治らないんだろう。右耳はもうあんまり聴こえてない。

俺は何が出来るんだろう。あの何でも出来たと思えた頃はなんだ。

何も出来ない。得意なものが欲しい。出来ることが欲しい。武器もないし盾も軟弱だ。俺は何者にもなれないし、生きていく価値がないなんてバカの口癖みたいなことをぼんやり考えてしまう。自分が自分である意味とか必要性がなくて、誰に望まれるんだろう、誰に望まれて生きているんだろう。吐きそうだ。

誰にも望まれないまま、なんで、こんな、こんな。

 

 

 

 

叶わないものから愛してしまう。

好けば好かれるわけではないから。悩みは尽きないし、正常にはなれない。

見えない痛みとか消えない傷とかずっと抱えながら、飛び降りれないまま生きていく。

 

最近はふらっと車の前に飛び出してみたくなってしまう。どうせそんな勇気はない。そんな自分にまた嫌気が差してくるのだけど。死のうたって当分無理そうだなぁ。

季節は巡って、また夏が来て、昨年より俺は何が変わっただろうか。何も変わっていないなら、きっとこのままなんだろう。ぐるぐると季節は巡って、何にも変わんないまま。あの日々の地続きの延長にいることが何となく実感できて、それがまた嫌になる。自分を変えるためには何かもっと大きな革命が必要なんじゃないだろうか。そんなものに頼るしかなくて、今日もきっと薬とお酒で飲み込んでいく。あぁもう夜だ。

 

 

 

 

おやすみ、またいつか。

二度と会えない人たち。

 

 

 

 

 

自分で書いた文章とはいえ、これは本当に自分の本質を示しているのだと思う。何度も読み返してグサグサ刺されている感覚を味わう。