備忘録

遺書代わり

広い普通の心が欲しい

春の暖かさは俺から言葉を奪っていく。

嬉しすぎて泣くことがあるんだから、悲しすぎて爆笑することもあればいいのに、と思う。

 

くだらない日常で、どうしようもない人生だけど、死のうたってどうせ怖気付くから無理で、いわゆる「ささやかな幸せ」なんかを糧にどうにかして生きていくしかないのだろうなあ。音楽を愛せなくなっても、自暴自棄になっても。

出来れば借り物の言葉は使いたくないけれど。

 

 

 

課題のせいで昨夜は寝るのが遅くなったから睡眠導入剤を飲むのが怖くなって抗不安薬を飲んで寝た。中途覚醒はなかったけど、ものすごい量の寝汗をかいて起きた。嫌な夢を見ていたのか疲れが溜まっていたのかなあ。どれだけ気怠くても二度寝できないのは辛いなあ。

 

準備が早く済んだから1本早い電車に乗ってみたが昨日よりもかなり混んでいた。1本差でこんなにも人の多さが違うんだなあと思う。満員の山手線は真空パックされたみたいだ。このまま人を人だと思えない凍った心が完成されていってしまうのだろうか。ようやく水曜日か。

 

 

 

自分に薄皮一枚貼ったニンゲンのフリをして人と接しているような感覚は強いが、それでも色んな人と話すことは好きなんだ。

地方に行くにあたって同期たちと離ればなれになるのは少し寂しいけれど、人間としてのボロが出るまでにお別れなのはいいことかもしれない。俺は怯えているのかもしれないな。

 

 

 

 

仕事が終わると偉い人たちと飲む懇親会があった。釣られて焼酎をたくさん飲んで気持ち悪くなった。最初から心に壁を作るべき飲み会だからかあまり心は死ななかったな。

あぁそれでもあまりいいお酒じゃなかったのか気持ちが悪い。早く薬を飲みたい。

 

 

仕事はまだ研修であることもあってあまりしんどくはない。スーツに身を包むのは少し辛いけど。

ただ帰宅してから、家事をしているときに少しずつ心が死んでいくのを感じる。洗濯物を取り込み、明日のスーツの用意をして、洗濯を回し、風呂場を掃除して、シャツを整え、荷物を揃え、軽く掃除をしてやるべきことをやって床につく。この間に何も心が通っていない。少しずつ落ちていく人としての意思を感じる。会話が足りないような気がする。あぁ繋がりたいなあ。

 

 

 

人は赤ん坊のように、生きているだけでは愛されないんだ。決して愛されない。

そして人を愛することは命がけだ。甘いなんて思わない。傷つけることと愛することは同じくらい勇気と覚悟がいると思っているし、そう思って欲しいんだ。これは自分のわがままなんだろうけど。