備忘録

遺書代わり

あいはどんなだい

代々木公園も気づけば春だった。人に会いたいな。

よく慰めの言葉で「もっと自分に自信を持って」とか「未来は明るいよ」とか「人生はこれから」と言ってくる人たちがいる。

本当にその人たちを批判したいわけじゃないし、その人たちから嘘のにおいは感じない。本心からそう言ってくれているのだろうと感じる。本当にその言葉に救われたりもする。それでもそう信じて、でも傷付いて、裏切られて、泣きながらもそれを信じて生きてきて、それでもこれからも傷付き続けるのだとしたら、どうやって信じていいか分からなくなる。

 

「自信を持って」と言ってくる人が多かった。自身の能力に特別秀でたものがあるという自覚はないので(むしろ能力に秀でているという自信は一番危ういし、価値観や生き方に依拠すべきだと思っている)、誰かを心から愛して決して裏切らず真摯に向き合うことができる愛情を持っている、というのが自分にとっての唯一の自信だったし、自負だった。でもそれでもそれを拒否拒絶されたのだから、それが不十分であったり、あり方が間違っていたり、伝え切れなかったわけで、報われなかったように感じてしまう。そして報われなかったことに対する憤懣がある時点で自分の愛情の未熟さを知らしめられた気がした。そんなことが何度も何度もあったのだから自信を折るには十分だった。

だから、自分から自信を奪っていったのは、他でもないあんたたちだろ、と思ってしまう。いやきっと、この怒りも間違いなんだろうな。間違いなんだ。考えがまとまらないな。何が言いたいんだろう。

なんかこう自分が言う愛情は男女間の情熱じゃなくてもう少し根源的な人と人との思いやりのようなものをイメージしている。

今も螺旋階段のように感情の行き場を探し続けている。

 

 

 

昨夜はお酒のおかげか少ししたら眠りにつけた。でもやっぱり2,3時間ごとに起きてしまうし、悪い夢もたくさん見た。

夢のひとつで、先輩が自身の歌を弾き語りで歌ってくれた。起きて涙が出そうになった。覚悟してたはずなのに急に少しだけ死ぬのが怖いと思ってしまった。あとは後輩がセクシャルマイノリティーで捕まってしまったとかよく分からない夢も見たな。

こういう時に限って泊まっている会社の同期のいびきが気になって耳にこびりついて上手く三度寝ができなかった。

寝ぼけた頭をぐるぐるさせていると昨夜会社の懇親会で同期の女の子に「太宰治みたいだね」と笑われたことを思い出した。記憶の薄い懇親会の中でそれだけが心に引っかかっていた。

あぁお酒のせいで今日はお腹の調子が悪いなあ。

 

お昼に行きつけのラーメン屋に行った。あまり美味しく感じなかった。むしろラーメンのこってりとした動物の脂の臭いが一日中服や自分に染み付いたような気がして気分が悪くなった。家系ラーメンを食べたあとの脂に近い粘り気が口に残った。途中からしんどくなったけどどうにか食べ切って同期と別れを告げた。申し訳ないと思いつつもあまり一緒にいたくなかった。東京を楽しんで、と心にもないことを言った。

天気が良いから洗濯をして散歩をしてみた。前向きになれるかな、と思ったけどどうにも悲しさが増していく。どうしたもんかな。

 

 

明日から旅行だから準備をしてみた。

準備とかを楽しめる人間だったはずなのに色々考えていくと億劫になって15分ごとくらいに休憩してしまって遅々としてなかなか進まなかった。なんだか死ぬ前の身辺整理をしているような気分になった。たしかにこの旅行が終われば死なない理由はあまりないから間違っていないのかもな。歯ブラシを薬局に買いに行ったけど帰ってきてからトイレットペーパーが切れてることに気づいた。まぁいいか。他に必要なものがあって渋谷まで買いに出てみた。好きな音楽を聞いているのが辛くなってイヤホンを外してみたけど、雑踏の話し声や宣伝広告、キャッチ、意図のわからない活動、そういう音たちが一つのまとまりとなって頭に入ってきて耳鳴りがした。耐えられそうにもなく都会の寂寞を感じて俯いて隅の方を歩いた。

 

 家に帰ってきて準備が終わったからお笑い番組を見ながら計画を立てようとした。今まであんなに好きだったお笑い番組が全然心から笑えなくってしまっている自分に悲しくなった。笑いたいな。カロリーを摂らなきゃいけないと思ってスナック菓子を胃に詰め込んでみたけど、猛烈な吐き気がしてしまった。そりゃそうか。

 

 

今日もみんな楽しそうだ。

そういう人たちを羨ましく思うことはあっても、恨めしく思うことはない。地球がひっくり返ったって正しいのは楽しんでるみんなで、間違った感情を持っているのは自分だ。家の中にいるだけで罪悪感が出てしまうなあ。

胸焼けと疲労感でぼんやりしていると泣きそうになってしまった。今日はどうやらダメらしい。あぁ早めに寝ようかな。

 

それでも何とか旅行の計画を立てていると楽しみになってきた。

楽しみができてくると心に余裕が出てきたのかお腹が空いてきた。自分の身体ながら現金だなと自嘲気味に思う。まぁいざご飯食べてみたら吐き気したんだけどね。明日から大好きな小籠包を5億個くらい食べよう。

 

 

 なんだか今日は散文的で考えがまとまらない。思考が固まらずにあちこち寄り道していく感じだ。たぶん旅行に対する楽しみと不安と、潜在的な不安や失望感が混ざりあって感情の出口がなくなってうまくアウトプットできないのだろう。あまり統一性のない思考だけど今日は特にひどい気がする。行ったり来たりだ。

 

 

 

拾ってもらえなくても強かに慕い続けて、その人の救いになれるくらいずっと一途で居られたらそれだけで十分想いは届いてるのに、それだけでは居られないのは何故だろう。

そこが本当に自分の醜い部分なのかもしれない。