備忘録

遺書代わり

自分を許したい

もう傷付きたくないな。疲れきった。

自傷行為の代表例といえばリストカットだろう。たいていの人は、あれは構ってちゃんの合図だとか、気づいて欲しがっているだけだとか言う。たぶん、その言説は間違っているわけではない。でも100%の正解ではないと思う。

 

とにかく自分が許せないんだろうな、と思う。

仲の良い先輩が連日家系ラーメンを食べていることを自嘲して「メンタルが弱ると身体に悪いことしたくなるよな」と言っていたがそれが一番的を射ている。自分の気持ちが落ち込むと、そんなもので落ち込んでいる自分のことを嫌悪していく。(さらにだからといって碌な解決策も模索せずグズグズ考えているだけの自分を嫌悪してく...といった自己嫌悪の悪循環は多い。)嫌悪した自分が健康体でいることが許せなくなっていく。自分の健康を痛めつけることで自分を罰していって、心の平衡を保とうとするのかもしれない。それを大半の人はお酒であったりタバコであったりしたものに依拠するけど、それがうまくできないと自傷行為をしてしまうんじゃないかな。

うまく言えないけど、ちゃんと苦しむためには苦しんでいる自分が必要なんだと思う。

 

 

薬を飲んで寝ると目覚ましなしでも7時間ほどですっと目が覚めるからすごい。起きたときに頭が重くて眠くて仕方ないのに、しんどくてとても二度寝できそうにもない、というのが問題だけど。

今日は会社の研修があった。だから何とか朝ごはんを食べようとコンビニエンスストアでパスタを買ってみたけど、半分も食べれず気持ち悪くなった。お腹は空くんだけどな。

会社にとても行く気になれなかったけどなんとか足を向けた。その後の懇親会なんかも憂鬱で仕方なかった。だけど、地方から出てきた同期が地方へ帰れないから、唯一ひとり暮らしの自分の家に泊まることが確定していて先に帰るなんて出来なかった。生きづらい世の中だな。

 

人事の人もみんなも未来の話や明るい将来の話をする。どうしても希望的観測にしか聞こえない。懇親会も最初は楽しかったけど時間が進むごとにどんどん疎外感や失望感が上回ってきて逃げ出したくなってしまった。自分の考えを懸命に話してみたけどあんまり共感は得られなかった。「純粋だと思うけど」とか簡単な慰めはあったけど目は完全に変な人を見る目だった。こんなところでも異性と遊んでる自慢なんかをする人が持て囃されてしまう。やっぱり自分の価値観を簡単に丸裸にするもんじゃない。人は簡単に人に見切りをつけてしまう。酔った勢いもあって最後に「人は簡単に裏切るんですよ」「どうして人は人を傷つけるんですか」とか言ってしまったのは後悔した。「何があったの」と笑いながら聞かれたけど、目は笑ってなかった。

明るくて前向きな人間しか人間の輪に入れない、ずっと分かってたことを改めて突きつけられた気がした。

 

地方の同期が4月から近所に住むらしい。家が近いということで詳しく聞かれた。歓楽街が近いことを伝えると目を輝かせて給料日になったらパーっと行こうぜ、と、週末は近くに飲みに行こうぜ、毎日愚痴りながら一緒に帰ろうぜと言ってくれた。なんの心配もなく未来に期待している彼が眩しく見えた。どうやら叶えられそうにないことに申し訳なくなった。家に着いてぜんぜん眠くもないのに、今日は気を使って疲れたし眠いね、なんて笑って電気を消した。

 

 前は人と話をしているとなんとか楽しめていたけど今はもうだめだ。話せば話すほど自分の言葉と思考の乖離性に吐き気がして、話すほどその人が遠くに行ってしまうような感覚を覚える。その人の思い出の中だけでも”いい人”でありたい自分の醜い部分が出てしまう。

 

 

苦しい死にたいと思いながらも今日も生きながらえた。そう思っても何か進展するわけでもないことは重々わかってて、誰かに助けを求めることもできないから、ここで吐露するしかない。それでなにか現実は変わらない、わかっているからまた自己嫌悪で苦しくなっていく。それでも今日はお酒を飲んだからきっとマシだと思う。最近は350ml缶ならほとんど一気飲みのように飲めるようになってしまった。お酒がお酒の味をしない。

お酒をいっぱい飲んだから薬を飲まないようにしたけど目を瞑ると目頭が痛くて火傷しそうだった。目だけ日焼けしたみたいな痛みと熱さだった。顔が変な熱を持っている。布団がいつもより冷たく感じた。酒気から来る気だるい眠気とは真逆に動悸が激しくとても眠れそうになかった。

 

 

本当は誰にも許容されなくても弱いままで存在していいのに、許容してくれない人が気になって仕方ないのがそれこそが本当に自分の弱い部分なんだろうな。

 

 

とにかくもう傷付きたくないんだ。あぁ。