備忘録

遺書代わり

性善説と性悪説

飛行機に乗った。飛行機に乗るといつも思い出すことがあって、機体とは真逆に気持ちはいつも沈んで行く。怖くはないけど、離陸時の猛スピードへの加速、飛ぶ時の浮遊感、風に煽られたときの機体の揺れ、どこかに墜落してしまえばいいのにと思うには十分な不安感だ。みんな死んだ焼け野原で、めでたしめでたし。

 

 

 

えらい人が、人間は性善説であると言った。俺は性悪説派だから不思議に思った。

だいたいの人は知っていると思うが、人間の本性は善であるか悪であるかの考え方だ。

俺は、人間というのは自分の欲求や欲望に流されて周りを傷付けて生きていくものだと思っているから性悪説だと思っていた。それを道徳だとか世間体だとかで無理やり矯正して生きているものだと。

 

でもその人が言うには、考えて考えて、考えて考えて、考えを突き詰めた人は必ず善の行動や考え方に行き着くのだと。ろくに考えもしないで行動する人間が悪いことをしてしまうのだと。そう聞いて少し得心した。

ちゃんと考えることが出来る人間は、なるべく誰かを傷付けないようにと正しい選択ができるんだ。そういう力がきっと備わっている。

でも自分の欲望に流されて考えることをやめてしまっている人間は、今の自分を満足させることにしか目に入ってなくて、「悪いこと」まではいかないにしても、周りの誰かをボロボロに傷つける可能性を考えられていないんだな。まさに「人の気持ちを考えることができない」人なんだ。

人間は考える葦だとよく言ったものだなぁ。考えて考えて、いつも考えて、それが無駄じゃなかったことは少しだけ救われた気持ちになった。いつも出来ているわけじゃないから人を指摘するなんて痴がましいけれど、自分はこれから出来るだけ考えを突き詰めて行動していきたいように思う。

 

 

 

テレビをつけたら、殺人だとか強盗だとか脱獄だとかセクハラだとかアイドルだとか人身事故だとか、もううるさい。いつもそう思って消してしまう。薄汚いワイドショーを賑わせるために人は生きているんじゃない。

君だけは大人にならないでと思っていたけど、いつの間にそんなに大人びて笑うようになったのさ。

 

 

 

手の傷がジンジンと痛むたびに戒めを受けているように感じる。俺は悪いことをしてしまったのだろうか。虚ろな目が鏡に映る。蛍光灯をつけたまま昨日は少し眠った。気だるい頭痛がぼんやりと眠気を誘った。

最近は眠っても夜中に何度も起きてしまうし嫌な夢もたくさん見る。うなされるように起きることも多い。いつも起きたら汗だくでひどく気分が悪い。普段ほとんど出来ない隈が目の周りに出来て、虚ろな目がより際立つ。

 

 

 

いつ死ぬことが出来るのだろうか、と最近はよく考える。ほとんど理解を得られたことはないけれど、死ぬほど辛いという時期は超えて、死ぬことは決めたのに、死にたいのに死なないというのが一番苦しいんだ。だから飛行機が墜落して欲しいだなんて一番楽な手段に逃げるんだろうな。自殺願望ですら他力本願だなんて、という自己嫌悪を今日もアルコールで喉の奥に押し込む。どうして季節は巡るんだろう。

 

 

 

 

せめて誰かの幸せを心から喜べる余裕が欲しい。誰かの幸せを目撃するたびに、これで十分なんだと思い込んでいる自己暗示の魔法が解ける。普通、になりたい。当たり前、になりたい。もう一度だけ飛びたい。もう一度だけ。

それできっと、めでたしめでたし。

最期はやっぱり、ありがとうとさようなら。